TLを見ていて、公式RTをしたのが、次のツイート。
おお、なるほどなぁ、と思った文章に出会ったら、それをそのままスクラップしておくよりかは、ざっくりでいいので自分の言葉で言い換えてみたほうがよっぽど自分の血肉になる。美味しそうな食材も冷蔵庫に入れておくだけじゃダメで、咀嚼して初めて消化できる。
— ひらめきメモ (@shh7) 2014, 1月 27
このツイートに対して、ヤンデル先生のエアリプ(?)とおぼしきツイートが、こちら。エアリプというのは、自分の邪推かもしれないが、それでも問題はない。(勝手に関連付けたことで、ヤンデル先生が不快になったら、申し訳ない限りなのだが)
「自分がいいと思ったなにか」を人に伝える「必要」なんてないし、脳の中で言葉にしないまま「浸る」楽しみってのはすごくある(俺はそういう時間が好き)んだけど、承認欲求なんかとごっちゃにされて何でもアウトプットしないといけないってなって拙い言葉にするもんだから逆効果になってることある
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) 2014, 1月 27
まずは、ひらめきメモさんのツイートの内容については、私はアリだと思っている。だから公式RTしているわけで。
ただし、ヤンデル先生の言うように、自分で消化する作業を、承認要求みたいなものとゴッチャにすると危険。承認欲求は、取り扱い注意なものであることを忘れてはいけない。
でも、「自分の言葉で言い換える」ことはしたほうがいいと思う。
そして、それをアウトプットした方がいいと思う。なぜなら、アウトプットするという目的がないと、なかなか継続して続けることはできない。そして、誰かの眼に触れて批評されなければ、それこそ独りよがりなものになるから。
こういう作業は、習慣化して、一定の期間は継続しないと意味が無いので。
だけれど、ある程度「血肉になった感覚が無ければ」、無闇矢鱈に、特にオープンな場所にアウトプットすることは危険。
物事には段階というものがある。そこは、ちゃんと考えないとね。
で、どのくらいになったら、オープンな場所にアウトプットしてもいいかというという問題。そこにも、ヤンデル先生は答えを与えてくれている。
インプットとアウトプットの間に、「情報が脳内サーキットで循環しながら熱を帯びてどんどん大きくなる」みたいな時間・瞬間がない人のアウトプットなんて俺は聞きたくないんだよ
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) 2014, 1月 27
この”「情報が脳内サーキットで循環しながら熱を帯びてどんどん大きくなる」みたいな時間・瞬間”というのは大切。
心配することはない。
「自分の血肉にする」練習を続けていけば、こういった時間・瞬間を感じたりする経験は必ずできるはず。
それまでは、ひたすら自分だけ、あるいは自分の身の周りの世界だけでアウトプットすることを勧める。