2012年12月19日水曜日

2012年12月13日木曜日

「ドクターG」から、こういった思考が出て...

「ドクターG」から、こういった思考が出て...:

'via Blog this'

medtoolz先生のブログに対する感想。
連続ツイートをまとめてみたものだけれど、短かったので、Facebookページにしてみた。

2012年11月12日月曜日

2012年10月16日火曜日

2012年10月10日水曜日

2012年10月3日水曜日

「現実は正解なんだ」



立川談志が言った「現実は正解なんだ」という話。
あれを理解して、自分の行動を変えることができたら、人生の質は、大分変わるんだろうと思っている。


立川談春の「赤めだか」で知ったエピソード。
やっぱり、立川談志はものすごい人だったんだよなぁと思うよ。

2012年9月27日木曜日

呟ききれないこと: 古いタイプの精神科医ですが……

呟ききれないこと: 古いタイプの精神科医ですが……:

'via Blog this'

同じテーマのことは、以前にもアウトプットした覚えがあるんだけど。

Twitterで、少し盛り上がったので、ブログにしてみました。

大切なことだから、2回アウトプットしてみましたw

2012年9月24日月曜日

フェイスブックページに投稿。
ブログにするには、ちょっと気が引けた。

たまには、臨床的な話を。
不安を主体とした病態で、軽度から中等度くらいのレベルならば、フルボキサミンを使いたいなぁと思うことが多い。……


続きは、psykomaのFacebookページにて。

2012年8月24日金曜日

2012年8月22日水曜日

呟ききれないこと: どの時点で満足するか

呟ききれないこと: どの時点で満足するか

ヤンデル先生が、他の人と意見交換をしているのを見ていて、思いついた連続ツイートをブログにしたもの。

2012年8月20日月曜日

呟ききれないこと: 精神疾患の患者さんも、身体の病気になるんだけどね

呟ききれないこと: 精神疾患の患者さんも、身体の病気になるんだけどね

本当は、件のTwitterは、そのまま曝してしまおうかと思ったけれど、思いとどまった。

まぁ、公開つぶやきだから、それしてもいいとは思ったけれどw

2012年8月10日金曜日

呟ききれないこと: PDと言えば……

呟ききれないこと: PDと言えば……

引用しているヤンデル先生のつぶやきで、ブログの内容を引き上げているという…… 、何という他力本願w

2012年8月8日水曜日

2012年7月9日月曜日

新型うつ病について


「新型うつ病」の話題がTwitterのTLに目立っている。
今回の震源地はAERAなのか。このあたり、追いかけるのも面倒になってきたなぁ。この前買った「東洋経済」も、結局目を通していないというに……


「神経症」という診断名が国際診断基準で使われなくなったところも、「新型うつ」の跳梁跋扈には寄与しているのかも。


まじめに診断をつけようとしている人が、「神経症」とか「抑うつ神経症」に落とし込んでいた病態の人の「診断名」に迷った挙句の『うつ病』がこじれてきたんだよなぁ。


真面目な診断者による、あえてつけた「うつ病」に対して、周囲が「古典的なうつ病のイメージ」で解釈。結局それが、一人歩き、暴走をして、「新型うつ病」として(世間的に)確立したという感じ。


だれか、デマというか流言飛語のメカニズムの視点で、もう少し解釈してくれないだろうか。



このあたり、もう論じている人一杯なのかしらん?

2012年7月4日水曜日

精神病院からの転院依頼


少し離れたところにある地域の精神病院から、長期入院している統合失調症の患者さんの転院依頼。
ファックスで送られてきた情報提供書をみると、転院の理由は、こっちの病院のほうが、家族が通うには便利だからと。


こういう依頼が、今後も増えていくんだろうな。やれやれ。


近くの精神病院に通院or入院していると、周囲の目が気になるからという理由で、あえて遠隔地の病院で治療。そのまま、長期入院化。


長期入院20年以上くらいの患者さんの場合。
入院する当時は、「家では無理だから、病院でずっと面倒をみます」という方針でも、わりと許される状況だった。
家族が、その言葉を信じ続けているのは、やむを得ないところある。でも、今この時代に、その言葉を信じ続けていられると、本当に困ったことになる。


こういった症例は、ぜんぜん珍しいものじゃない。
今までもそうだったけれど、これからしばらくは、誰もが、この手の患者さんの処遇で悩んでいく。


向こう三軒両隣どころか、その界隈が全員顔見知りで、玄関に鍵をかける習慣が殆ど無いような地域。
そういったところで、熱心な地域医療をしている精神病院であれば、地域で患者さんを引き受ける方向に舵を切っていける勝算が有ると思う。
でも、そんな地域はどれくらい存在しているんだろうか?



厚労省は、精神科の入院1年以内とするつもりだが、どこまで上手くやれるやら。

2012年6月27日水曜日

ぷしこま - Google - 精神病院に入院中の患者さんに対して、食事制限をどうするのが良いのかという問題。<br />栄養指導管理とか、薬...

ぷしこま - Google - 精神病院に入院中の患者さんに対して、食事制限をどうするのが良いのかという問題。&lt;br /&gt;栄養指導管理とか、薬...:

精神病院に入院中の患者さんに対して、食事制限をどうするのが良いのかという問題。
栄養指導管理とか、薬剤指導とか、このあたりに保険点数がつきだしてから、それに関わる業種の人が、色々と指導をするようになった。


ただ、「何が何でも、指導しないといけない」みたいな雰囲気が強くなって、本末転倒な状況になることも少なくないと思っている。


あまりにも、ひどい時には注意することもあるんだけど、「ちゃんと、指導しないといけないことになってます」みたいな反応をする人もいるんだよなぁ……


スタッフへの指導が、まず大切なんだよね。やれやれ。





2012年6月13日水曜日

国会中継なんか、流さなくてもねぇ


認知症病棟のデイコーナー。何人もの患者さんがテレビを見ている。
でも、映っているのは、国会中継…… 


もう少し刺激のある番組にしたほうが良いことないかしらん。


認知症病棟で、下手にテレビをつけっぱなしにしておくくらいなら、映画のDVDを流しておいてもいいんじゃないだろうか。
「男はつらいよ」シリーズあたりなら、数もあるし、内容的にも悪くないような気がする。




といいながら、実は「男はつらいよ」シリーズ。
ほとんど見たことが無いですが …… orz







2012年6月5日火曜日

呟ききれないこと: 「現実的」か、「突き抜ける」か

呟ききれないこと: 「現実的」か、「突き抜ける」か

発想のきっかけは、「半落ち」の感想を考えている時に。

前にも、似たようなことを書いたような気がするけれど、まぁいいか。

2012年5月31日木曜日

呟ききれないこと: 治療は、「約束」でもあるんだよなぁ

呟ききれないこと: 治療は、「約束」でもあるんだよなぁ

「がっかり療法」を誤解してる可能性も……

まぁ、治療の中で「待つ」っていうのは、難しいということでw

呟ききれないこと: 一人では受診させないで欲しい……

呟ききれないこと: 一人では受診させないで欲しい……

最初のつかみのネタ。
どう考えても、ツイッターでのつぶやきのままのほうが、面白かったような気がする。

2012年5月30日水曜日

「陽性症状」について話すつもりだったw


さてと、統合失調症の症状について分類をする時に、「陽性症状」と「陰性症状」に分類して、説明することがある。この分類のしかたを、好まない人もいるけれど、わりとよく使われる表現であったりする。


統合失調症で、一般的にイメージされやすい症状。例えば、幻覚とか、妄想というのは、「陽性症状」に分類される。感情鈍麻とか、平板化した思考とか、意欲の低下なんかは、「陰性症状」に分類される。


で、陽性症状の説明で、”健常者には見られない精神状態が発現する『陽性症状』”みたいな表現が使われることがある。間違ってはないとおもうけど、ちょっと違和感があるんだよね。 (引用元は、右のリンク先。http://bit.ly/KrQOxA )


むしろ、「陽性症状」っていうのは、正常な人の精神機能が過剰に亢進している状態と解釈したほうがいいと思うんだけどね。


このあたりは、Twitterを見ていると、すごくわかりやすいんじゃないかと思う。


TwitterのTLをみていると、あくまでもプロフィール上ではあるけれど、いわゆる知的レベルが高いとされれている職業の人のつぶやきでも面白いものがみられる。ニュースになるような話題に対して、わりと事実に基づいた確認のツイートで、最初は始まる


しかし、つぶやきが進むにつれて、微妙に論調がおかしくなってくる人がいる。ニュースソースに書かれていないような内容が、どこからか持ち出されてきて、関連付け、断定された内容が混じってくる。しかも、それが明らかな事実のように。


こういった妙な関連付けられたつぶやきって、時々、理解不能で驚いてしまうことがある。理解不能というのは、プロフに書かれてある内容から想定される人物像からは、想定しにくいような展開になっているという意味で。


でも、つぶやいている当人は、おそらく、真面目に考えていたり、ある種の意図に沿って考えたりした内容をつぶやいているんだと思う。でも、それが行き過ぎると、本当に理解不能に見えてくる。時には、統合失調症の患者さんが話す妄想的な内容のほうが、思考を追いかけ易い時もある。


あぁ、話を展開する順番を間違えたので、まとめ難くなってしまったなwww


統合失調症の患者さんの妄想というのは、まったく理解できないものだと思われがち。でも、患者さんの人となり?のようなものを頭に入れて、その話を聞いていると、まったく突拍子のない話ではないことも多いんだよね。その人の生活の背景や、症状の程度を考えると、納得できることもしばしば。


特に医療者の人に言いたいんだけれど、統合失調症の患者さんの妄想を、まったく理解できないものと決めつけないほうがいいと思う。あくまでも、過剰な思考の延長であることを意識して、話を聞くことをおすすめする。絶対に理解できるわけではないけれど、もしかしたら、何か見えてくるかもしれない。


そのあたりの感覚で、Twitterを見てみても、面白いかもね。そこから、匿名だけれど、そのアカウントの人となりのようなものが、見えてくるかもしれない。


話の展開を間違えたので、思わぬところに着地してしまった……

2012年5月26日土曜日

連続ツイート 「いいお医者さん」と「武術の練習」と「認知行動療法」


そのものは正しいんだけれど、使われ方、認識のされ方に問題があるフレーズって有るよね。一番に思いつくのは、「お客様は神様です」ってやつ。それと、もうひとつは、「お医者さんは、患者さんが治るのを手助けするのが仕事なんだ」というやつ。当然、今回は、後者のフレーズから思いついたこと。


「お医者さんは……」っていうのは、とても便利に利用されている言葉のような気がする。あれは、実は”患者さん自身が頑張りなさいよ”っていう内容のはずなんだけれど…… そのフレーズが使われるドラマや映画を見ていると、”それを実現してくれる「いい」お医者さん”を規定するフレーズになってる


特に外来での診察をしていると感じることがあるけど、治療に対する期待が高すぎる患者さんがいる。そういう人の対応をしている時には、何となくエステシャンとか、カリスマ美容師とかのスタンスに近い対応をしないといけないんじゃないかなぁと思うことも、しばしば。


お客さんとしてやってきた人の期待に沿うべく、技術を最大限に発揮することを要求されている。その一方で、お客さんの方は、主に受け身で技術を施されている。そして、結果のみで満足する。その経過は、あまり評価の対象にならない。


そういう美容室やエステを受けるような姿勢の人に対して、技術を提供する側が「自分で綺麗になる努力を手助けをしている」といるのかというと、ちょっと違和感があるんだよね。大きな意味では、お客さんの方も努力をしているんだろうけれど。


で、外来での治療、特に「認知行動療法っぽい」ことをやっていると、無意識の内に違うスタンスで、患者さんと向かい合っていることを意識せざるをえないんだよね。それは、言うなれば、空手とか、柔道みたいな武術の道場で、入門してきたお弟子さんに、稽古をつけているようなスタンス。


最初のうちは、何も分からなくて当然なので、ある程度手取り足取り、上達の仕方を教えてあげる。身体の動かし方が、徐々に身についてきたら、それの反復するように指導する。あくまでも、お弟子さんが、自分で練習することが大切。手取り足取りの指導が何時までも続く、武道の指導ってありえない。


お弟子さんは、自分が反復練習した成果を、時々師匠のところにやってきて披露する。一発で身につけることなんてできないので、その度に師匠は体の動きをチェックして、修正してあげる。お弟子さんは、その指導を元に、また練習を始める。


師匠がいないところで練習する弟子と、道場に顔を出した時にしか身体を動かさない弟子。どちらの弟子が成長するかは、言わずもがな。 後者は、自分で練習もしないのに、あの師匠は指導が下手だとか、間違っているとか、文句は言いそうだけどww


こういう話をしていると、スラムダンクの「バスケの国アメリカ。その空気を吸うだけで……」を思い出しちゃうんだよなぁ。




もう少し「認知行動療法っぽいこと」について話をすると、武術の指導なんだから、この時には、結構濃密な密度の治療が必要になるんじゃないかなぁ。だから、マニュアルを見せただけの通り一遍の説明とかじゃぁ、身につけようがないような気がする。




説明をする時に、理解の程度や治療への取り組み方をみたり、説明に変化をもたせたり、いろいろな工夫が必要になるはずなんだと思う。そうしないと、認知行動療法っていうのは、本当に形骸化したものになってしまう。むしろ、よくできた自己啓発本あたりを読んでもらったほうが効果がありそうw


最近、様々な形で認知行動療法への誘導があるけれど、そんなに簡単なものじゃないはずなんだけどね。何か、「うつ病は、心の風邪です」キャンペーンに似たような道をたどりそうで嫌だなぁなんて思ったりして。


裏アカウントでの連続ツイート
やや乱暴なところもあるので、もう少し手を加える必要があるなぁ。

2012年5月24日木曜日

注意喚起は、不安喚起

とある疾患の専門医を名乗る医師が、不安を煽るようなツイートをしているのをみかけた。

正直、感心しないなぁ。

自分も、同じ轍を踏まないようにしないと。

注意喚起というのは、不安喚起でもあるし。

それの最もたるものの一つが「うつ病」であるわけで。

インフォームドコンセントの際に、誘発された不安の処理も、注意を払うことが大切なんだろうな。
でも、これが、なかなかに上手くいかない。

外来で、「じゃあ、○○の薬を出しておきますから」と説明した直後に、「その薬は、副作用はありますか?」と聞かれる。

ここからの説明を色々と工夫しているつもりなんだけれど、どう考えても、マイナスの効果になっているような気がしてならない。

やれやれ感が、半端じゃない。

2012年5月23日水曜日

呟ききれないこと: 問診票は患者さんを表すのか?

呟ききれないこと: 問診票は患者さんを表すのか?

最後に書いた話を、もう少し突っ込んでいくと、DSMなどの操作的診断基準の話に展開できる。
それは、また別の機会にw

初診の患者さんで気をつけるポイント


初診の患者さんで、性格傾向とか、(その時点での)心の状態とかを推し量るために、気をつけているポイントはいくつかある。
その中の一つに、挨拶の後の「今日受診されたのは、どうしてですか?」という質問を投げかけた時の反応には、わりと注意をしている。

予診や問診票での回答を、そのまま繰り返す人って、むしろ少数派。
予診の主訴とは、違う内容を喋り出す人。
「さっき、答えました!」と怒っちゃう人(書き忘れたけれど「改めておうかがいします」と一言付け加えてます)などなど。
そういった反応が、その後の外来の流れを決めることも。

2012年5月17日木曜日

呟ききれないこと: 「完全なる報復 (2009)」

呟ききれないこと: 「完全なる報復 (2009)」

あと1年くらいかけて、アイディアを煮詰めていったら、すごい傑作になったと思うよ。

絶対に考えるのサボったように思えるんだもの。
実に、モッタイナイ。

呟ききれないこと: 虚構新聞についての論争って、「プロレスは、ガチなのか、八百長なのか」論争と似ているよね。

呟ききれないこと: 虚構新聞についての論争って、「プロレスは、ガチなのか、八百長なのか」論争と似ているよね。

虚構新聞が、今の面白さを無くしてしまうのは嫌だなぁ
という気持ちで書いてみました。

うーん、もう少し内容を深めて、別のところに出したほうが良かったかなぁ。

2012年5月16日水曜日

木村文乃 象印のCMの人

そういえば、象印のステンレスボトルのCMにでている女性って、docomoのスマートフォンのCMの人だったんだよな。最近、気がついたよ。

木村文乃さん、っていうんだな。










2012年5月15日火曜日

患者さんの飲酒について


患者さんの飲酒に関しては、わりと厳しく注意している。
でも、わりと高確率で、「前の○○先生は、少しくらいならいいと言ってくれた」とか、「そんなことを言う先生は、あなたが初めてです」なんて言われるんだよなぁ。
あぁ、あと「先生は、お酒は飲まないんですか?」という質問返しとか。

飲酒に対して注意したら、反撃(?)してくる患者さんに対しては、「あなたが、薬を必要とする患者さんでなければ、お酒を飲んだりするのは自由なんですよ。」みたいな返答をすることもあるけれど…… 自分でも、悪手だという自覚はあります。 orz

2012年5月14日月曜日

「猿の惑星 創世記」視聴

呟ききれないこと: もっとキャラに厚みを : 「猿の惑星 創世記」DVD  視聴

DVDを見ながらの感想は、重箱の隅つつきばかりだった。
流石に、それではマズイと思ったので、少し建設的な方向に変更w

「ちゅう房」って、気になりません?

ちゅう房付近が激しく燃える NHKニュース


事件自体には、そんなに感心がない。ただ、「ちゅう房」という表記は何なんだろうな…… 
日本語の能力って、大事なはずだと思っているんだけど。

初診時の問診票の記入。
患者さん自身が用意したメモ。
時には、患者さんに書くようにしてもらった日記。
そういったものから、垣間見える「国語力」からも、色々と考えることがあるんだよなぁ。

2012年5月13日日曜日

ろう者が筆談をお願いした時の反応に関するまとめ - Togetter

ろう者が筆談をお願いした時の反応に関するまとめ - Togetter

最近、twitterを見てても、何かしんどくなることも多いし、どうしようかなぁ…… なんて思うこともあるんだけれど、

こういった、勉強になるtogetterが出てくることがあるから、正直困るwww

ウケ狙いは、しないほうがいいかなぁ



ウケを狙わなかったと言えば、嘘になるけれど……

「連合弛緩」というのは、半分正解で、半分間違い。

統合失調症の「妄想着想」のほうが、それっぽくなったかなぁ?

2012年5月11日金曜日

聞く側の問題について


さてと、今日の昼間につぶやいた内容について、もう少し考えてみることにしようと思う。 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200832734673903616

最初に「病状の説明」というフレーズを使ったこともあるから、伝わらないのは「説明の内容」の問題と解釈するようなレスポンスがちらほらと。これは、自分のつぶやきの持って行き方もまずかったかな。

確かに、医師の説明が「わかりにくくなり易い」のは確か。だから、医師が「わかりやすい説明」を意識することは大切。

じゃあ、話を聞く方に”全く問題がない”のか、というと、自分にはそうは思えないんだよね。

例えば、学校の授業だって、先生の話を聞いて理解できている生徒と、できていない生徒がいるでしょう。それを、「先生の教え方が悪いから」ダメなんだ、という結論にはしないよね。

生徒の方にも、予習をしているのか、復習をしているのか、ノートをとっているのか、そもそも、先生の話をきちんと聞いているのか。なんて、色々な要素は考えられる。

患者さんの説明に対しても、学校の授業と同じことが言えるんじゃないだろうか? じゃあ、”お医者さんの話の聞き方”というのを、誰が指導してくれるのだろうか? それも、医者側の責任のある業務なの?とか、考えてしまうんだよね。

そもそも、”お医者さんの話の聞き方"ではなくて、”大事な話をする時の、相手の話の聞き方”という問題じゃないだろうかと。じゃあ、それって、どの段階で、どうやって身につけるものなのかしらん。

それと、”わかりやすい説明”を求める気持ちは、よく理解できるし、あたり前のことだと思う。でも、わかりやすい説明にも、落とし穴があるのも確かなんだよね。 このつぶやきで、それに触れたつもり。 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200843352076328960 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200844462749007873

上手な説明とは


上手な説明は、上手く剪定されて、見栄えが良くなった樹みたいなもの。
見た目の良さとか、全体の把握のしやすさが心地良い。でも、細かな枝葉は、バッサリと切り落とされている。このあたり、どこまで切り落とすのかが、腕の見せ所なんだろうけれど

枝を切り落とそうとする時に、「あの枝は何処にいったんだ?」「切り落として、隠したんじゃないのか?」と言われることを気にし始めると、思うように腕がふるえなくなってしまう。
その結果、なんだか、「ごちゃごちゃした樹ですね。剪定しているのに不自然」なんて言われたりして。