2012年5月11日金曜日
聞く側の問題について
さてと、今日の昼間につぶやいた内容について、もう少し考えてみることにしようと思う。 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200832734673903616
最初に「病状の説明」というフレーズを使ったこともあるから、伝わらないのは「説明の内容」の問題と解釈するようなレスポンスがちらほらと。これは、自分のつぶやきの持って行き方もまずかったかな。
確かに、医師の説明が「わかりにくくなり易い」のは確か。だから、医師が「わかりやすい説明」を意識することは大切。
じゃあ、話を聞く方に”全く問題がない”のか、というと、自分にはそうは思えないんだよね。
例えば、学校の授業だって、先生の話を聞いて理解できている生徒と、できていない生徒がいるでしょう。それを、「先生の教え方が悪いから」ダメなんだ、という結論にはしないよね。
生徒の方にも、予習をしているのか、復習をしているのか、ノートをとっているのか、そもそも、先生の話をきちんと聞いているのか。なんて、色々な要素は考えられる。
患者さんの説明に対しても、学校の授業と同じことが言えるんじゃないだろうか? じゃあ、”お医者さんの話の聞き方”というのを、誰が指導してくれるのだろうか? それも、医者側の責任のある業務なの?とか、考えてしまうんだよね。
そもそも、”お医者さんの話の聞き方"ではなくて、”大事な話をする時の、相手の話の聞き方”という問題じゃないだろうかと。じゃあ、それって、どの段階で、どうやって身につけるものなのかしらん。
それと、”わかりやすい説明”を求める気持ちは、よく理解できるし、あたり前のことだと思う。でも、わかりやすい説明にも、落とし穴があるのも確かなんだよね。 このつぶやきで、それに触れたつもり。 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200843352076328960 https://twitter.com/#!/psykoma/status/200844462749007873